2008年11月28日金曜日

分析結果に対する違和感

分析結果に違和感を持つことは大事だ。

分析とは基本的にある論点に対する仮説をサポートするためのファクトを作り出すことだが、もし思い通りの分析結果が出なくても落胆する必要はない。
なぜなら、それは新しいアイデアを導く宝かもしれないからだ。

そもそも違和感を持つためには、あらかじめ仮説なり一般常識なりをもっていないといけない。もし、その仮説なり一般常識なりを持たずにただ作業的に分析を行ってしまうと、その結果が非常におかしな結果になったとしても気にせずに報告してしまう。いざ報告するときに、そのおかしな理由(たとえば常識的な数字と2ケタ違うなど)をその場で考える羽目となり、青ざめることになってしまう。

だから分析前にあらかじめ仮説を持つことで、その仮説と分析結果を比較することができ、それが異なる場合、3つの場合が考えられる。

1.分析方法が間違っている
2.データがおかしい
3.それはデータから発せられている真のメッセージ

1.2.の場合は命拾いをしたといえるだろう。報告する前に自分のミスに気がつくことができるからだ。

3.の場合は、すごいチャンスだ。なぜなら、今までの常識と違うファクトを手にしたことであるから、それはすなわち新発見が潜んでいるかもしれないしすごいアイデアに結び付くかもしれないからだ。

たとえば、その新しい分析結果から新しい消費者/ユーザー行動を読み取りその少し先で待ち受けるサービスや商品を開発することなどができるかもしれない。自分の出したいメッセージに無理に合わせて分析をしてメッセージを抽出するのではなく、仮説と異なっている原因は何か、そこから何が読み取れて、自分たちは何をすべきかを徹底的に考えることがビジネスをつかむ秘訣なのかもしれない。つらいことだが、仮説と異なっていることを受け入れることも大事だ。

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